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村上龍「クリーム色」

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村上龍に「クリーム色」という掌編がある。

角川文庫の『十七粒の媚薬』というアンソロジーに収録されている。


あるSM嬢(たぶんM嬢)が、〈知らない年寄りのタキザワ〉という男に呼ばれてプレイする時の心の動きをM嬢の語りで述べてゆくお話。


つまらない官能小説まがいのものにしか見えないかもしれないが、意外によく作られているのではないかと思う。

クリーム色は、M嬢が幼い頃に母と妹と一緒に行ったデパートの手すりの色だが、それは温かくて優しい家族との思い出を象徴している。

もちろん、具体的にクリーム色の手すりだったのかもしれないが、温かくて優しいクリーム色なのもそうだろう。

性を売るM嬢にも、当然そのような過去=子供時代があり、彼女の幸せを願う家族が存在するわけだが、買う側からすると、そういう彼女の人間性はむしろ萎えさせるものでしかないだろう。

まして、M嬢であれば、男の側は彼女の人間性を剥奪し、物体のように扱うことを欲望して、買うわけであるので、そうしたM嬢の語りは、男の欲望に対して反逆してゆくものでしかない。

彼女を買った〈知らない年寄りのタキザワ〉はメイド・イン・イタリーのワニ革のベルトで彼女の尻を打擲する。
その時にテレビのクイズ番組で、北アフリカのモーリタニアの通貨についての問題が出されるのだが、ここで男とM嬢との経済的格差が、先進国と発展途上国との経済格差に重ねられて、SM嬢がビデオの仕事をしても、ワニ革の財布に手が届かなかった層にいることが浮き彫りにされる。

作品は、1989年頃の作品のようなので、男はバブル景気で富をなした可能性が高いが、この格差を描く本作は、現代の官能的プロレタリア文学の一つといえるかもしれない。笑。

少なくとも、その格差社会だけは、それ以降も是正されるどころか、格差拡大を増しており、メッセージは2020年の今でも有効である。

ただ、この作品の面白いのは、それを描くだけではなくて、結末の母との会話の思い出から読み取れることである。

無邪気な子供の問いに優しく答えた母の答えは、単なるエスカレーターの手すりについてだけではなくて、彼女と母の行いについても述べているかのようである。

性的なものを表に出して生きる彼女に対して、もちろん、性的な部分を匂わせない母が、そのセリフによって、母ももちろん性的な時間があったことを想起させる。

もしかしたら母も、父やそれ以外の男たちに打擲されたことがあったかもしれないと思わせて、人間という動物の不可思議さを感じさせるところがある。

Amazonなんかの評価では、あまり評価されていない文庫本ではあるが、果たしてそうなんだろうか、と思ったりもする。






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あさのさつこ「てんにょどうらく」

講談社文庫から出ている、小説現代編の『10分間の官能小説集』で読みました。

『小説現代』掲載の作品なら比較的ソフトなのかもしれません。

BOOKOFFで手に取って、購入してみましたが、女性作家の作品から読み始めたのは、

もちろん、自分の中のあさましい気持ちがそうさせたのでしょう。

ところで、この「てんにょどうらく」。

なかなかよく出来た作品で、大変面白かったです。

時代物の官能小説。


橘町の太物問屋・七宝屋の手代である伊蔵は、町角でしみだらけの老人に呼び止められる。

老人は伊蔵に二朱で「てんにょどうらく」をしないか、と持ちかける。

「てんにょどうらく」とは、一番欲しい女を一番望むやり方で抱く、というもので、うつつの女のことなどきれいな忘れられるという。

伊蔵は、奉公する七宝屋の娘・お松に恋い焦がれていたが、先日、お松にその想いを笑い者にされて踏みにじられたところ。

伊蔵は思い切って、「てんにょどうらく」を買うことにする。

老人の後について路地の奥のしもたやに入り込んだ伊蔵は、そこに緋縮緬の襦袢姿で横たわり、荒縄で縛られたお松を見た。。。


というお話。



『バッテリー』など、児童文学を書く女性作家が、どんなエロい小説を書くんだろう?

というあざとい興味本位で読んだのが正直なところ。


設定は、谷崎潤一郎の『春琴抄』のような設定、春琴と佐助がお松と伊蔵に重ねられているのではないだろうか。

もしかしたら、お松という名前も谷崎を意識してのことかもしれない。

春琴と佐助の崇高な愛に比べて、こちらは残酷なエロスに向かってゆく。

しかし、むしろ、こちらの設定の方が多くの男性の共感を得るかもしれない。

こんな風に女性に足蹴にされた経験のある人の方が多いと思うから。

伊蔵は、サディスティックに(SMではない)お松を蹂躙して復讐をしてゆく。

嫌がるお松は、とても恥ずかしい姿で、見下していた伊蔵の辱めを受ける。ここが圧巻。

あさのあつこの頭の中では、こんないやらしいことも考えつくのか(笑)。


お松の股を左右に開かせ、桃の花の色よりやや薄い陰(ほと)が口を開けていたのを見た伊蔵が、

「……これをずっと拝みたかったんだ」

というところなんかは秀逸。

男の心理をよくわかっているなあ、と。



「てんにょどうらく」とひらがなで表記されるが、漢字で「天女道楽」と書くよりも、

なぜかひらがなで書いた方がいやらしい感じがするのは、発見。

ひらがなって実は、いやらしいんだな。笑


自分がもし「てんにょどうらく」を買うとしたら、どの女を抱くのだろう?

そう思って読むのが一番いいでしょう。

二朱ですから、今のお金に直すと5千円から5万円の間くらいか。

まあ、妥当な金額。

むしろ天女を抱けるのなら、安いくらい。笑

僕なら。。。あの女性(ひと)を。。。笑


ただ、惜しむらくは、最後のところで、お松も病か何かで死んでいた方がよかったかなと思います。

その方が、「てんにょどうらく」の幻想性が浮き立ち、もしかしたら本当にお松を抱いていた可能性も出てきて、

よりすばらしいものになっていたことでしょう。